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2015年5月29日 (金)

古都鎌倉ミステリー「謀略に散った頼朝の御家人たち」

5月28日(木) 今回の鎌倉散策は、”何故、身どもが討たれねばならぬものか・・・”の

思いを胸に、次々と姿を消していった頼朝の有力御家人ゆかりの場所を訪ね、「敗者の

無念に思いを馳せる」がテーマの鎌倉探訪に参加します。頼朝の死により有力御家人の

対立が表面化し鎌倉は混乱の坩堝と化す中、未亡人の政子とその父時政・弟の義時が

情勢を巧みに利用して有力な御家人を倒し、北条氏の天下となる。鎌倉時代の歴史書

「吾妻鏡」からは見えてこない敗者の歴史をたどる散策です。

JR鎌倉西口ー和田塚(和田義盛一族)-畠山重保邸址ー比企能員邸址(妙本寺)

ー法華堂跡・三浦一族墓―鶴岡八幡宮(梶原景時弾劾状)-JR鎌倉東口

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《和田合戦》 源頼朝の挙兵から従い、鎌倉幕府成立に貢献した幕府の侍所初代別当

和田義盛ですが、北条氏と対立。北条義時の再三の挑発を受け1213年5月軍勢を率いて

決起し幕府軍を襲った。戦局は和田勢に有力な展開をしていたが本家の三浦義村が幕府

方に寝返り義盛は敗北し和田一族は滅亡。終焉の地が和田塚として残っている。

鎌倉十橋の一つ琵琶橋付近でも、激しい市街戦を展開したと伝えられる。

和田氏滅亡後 北条義時は侍所別当を手に入れ、元々の政所別当と併せて専制政治を

さらに強固なものとした。(江ノ電和田塚駅の側にある。)

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《畠山重忠の乱》

畠山重忠も頼朝に臣従して活躍また武勇の誉れ高く清廉潔白な人柄で「東国武士の鏡」と

称された人物。時政の後妻牧の方の女婿「平賀朝雅」と重忠は、武蔵国衛で対立。

重忠の嫡男重保と平賀朝雅が酒席で口論となり、それを根に持った朝雅と牧の方が

北条時政に「畠山親子謀反の疑いあり」と讒言する。北条義時を大将とする幕府軍により

武蔵国二俣川で、子の重保は鎌倉にて謀殺される。宝篋印塔は、畠山重保の墓と伝え

られ、明徳六年の銘のある大型の石塔。右 父重忠の鎌倉での屋敷跡の碑。

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《比企氏の乱》

二代将軍頼家は、妻の父である比企能員との関係を強め幕政の主導権を握ろうとする

祖父の北条時政や母の北条政子と対立した。比企氏の台頭に危機感を持った時政が

仏事にことよせ名越の舘に能員を呼び寄せ謀殺する。政子が比企氏討伐の命を下し

義時・泰時らに、比企氏の舘に火を放たれ一族が滅びる。舘跡に妙本寺が建立される。

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《宝治合戦》

北条氏と肩を並べていた三浦泰村は、執権北条時頼に危険視されていた(前の将軍

九条頼経ら反勢力と近づいた為)。時頼の外祖父安達影盛らが突如三浦泰村邸を襲撃

時頼も襲撃を決定、泰村らは頼朝が祀られている法華堂に籠り防戦したが500人が

自刃して壮絶に果てた場所。鎌倉幕府創設以来の雄三浦氏の滅亡により北条得宗家に

よる専制政治体系が確立する。(パンフレット&レジメを参照)

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最後に「鎌倉本體の武士」といわれる梶原景時に対する、六十六人の同意があった

弾劾状の作られた鶴岡八幡宮へ。参道は、大勢の観光客であふれていました。

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解散後 ランチは、カレーの美味しいお店で・・・。デザートの抹茶プリンも美味でしたよ。

歴史を勉強して頭をいっぱい使った後の、スイーツは特に美味しかったです。(笑)

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古都鎌倉史跡めぐり」カテゴリの記事

コメント

鎌倉幕府の裏の歴史
興味深深で拝読しました。
寝返り・・・当時の武将の一番恐れた事だったそうです。
あの武田信玄×上杉謙信の時も武将の裏切り(寝返り)で・・・

そんな緊張したお話の後・・・・ランチ!  (笑)

「謀略に散った頼朝の御家人たち」興味深く一字一字読み返しながら拝読。
歴史は大好きなのですが、鎌倉幕府の北条氏へ権力が移行したこの時代のことがあまり詳しくないので興味深く拝見いたしました。
知っていたのは梶原景時親子の事ぐらいでしょうか。

古都鎌倉ミステリー、わくわくしちゃいますね。
歴女のセロリさんにはぴったりのですね。
私の場合は、一般的な歴史から学ばないと・・・なんですが。

コメントありがとうございます!

あすかさん:

鎌倉の狭いエリアでの紛争・・・北条氏の執権政治になるためには、
紆余曲折があったことを改めて学びました。
今回武士が血を流し滅亡した場所を巡るコース。
普段では自分で歩かないところ(なんとなく恐く雨曇りの時は絶対歩けない)を
説明付で歩けたので良かったです。


country walkerさん:

前に座学で御家人と北条氏の紛争について
学んだことがあってので年代をたどりながら
聞いたことを確認し見ながら歩くとより鮮明になった気がします。
検定問題にも良く出題され迷いやすい設問なので
とっても勉強になり楽しかったです。bookshoe

ジャランこさん:

ワクワクすると共に、鎌倉はこのような武士の争いから
成り立った街なのだと私なりの解釈で歩いた今回の散策です。
三浦氏一族の終焉の場所・・・ガイドさんに「霊感の強い人は
あまり近寄らない方が良いですよ。」と云われ
墓群を覗くことが出来ませんでした。
酢~と渡る風にドッキリしてしまう弱虫の私です。coldsweats01


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