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2015年9月13日 (日)

深沢の里に秋を訪ねる(梶原一族に思いを馳せる)

9月11日(金) 数日間の長雨がうそのように空が晴れ渡る日、前より申し込みしていた

鎌倉ガイド協会史跡巡り、梶原一族に思いを馳せ『深沢の里の秋を訪ねる』に、参加する。

<コース>

洲崎古戦場碑ー泣塔ー大慶寺ー等覚寺ー梶原一族の墓ー御霊神社ー仏行寺(源太塚)

晴れたので大急ぎ家事を済ませ、受付時間ぎりぎりの参加は、最後の班12名で出発。

小さな秋・・・例年の秋より早く紫の果実が実る「コムラサキ」とこんなに大きな「ひょうたん」

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新田義貞の大軍と北条(赤橋)守時軍が壮絶な戦いを繰り広げた「洲崎古戦場碑」

太平記によると、「一昼夜に60回ほど戦い数万人の北条勢が300人になってしまった」と

ガイドさんの説明あり。また赤橋守時の妹が足利尊氏の妻である為、「ここで降伏すれば

新田軍と内通していたと思われる。それこそ武士の恥である。」と言って切腹した。90名の

武士が「大将の御伴」と叫んで次々と切腹したとの事。以上のような説明の後に訪れた

「泣塔」は、洲崎の戦いでの戦死者の霊を慰めるため建てられて供養塔と云われる。

「この塔を青蓮寺に移したところ、夜な夜なすすり泣くような声が聞こえてくるので、元の

場所に戻したところ、鳴き声はしなくなったと伝わる。」とのガイドさんの説明に、宝篋印塔

写真を撮ったが、消去する。(心霊スポットとして話題になっている場所とか・・・?)

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臨済宗円覚寺派の霊照山「大慶寺(開山大休正念)」では、本堂の扉を開けて頂き、

本尊の「釈迦如来像」と「大休正念(仏源禅師)像」を、遠目ながら拝観することが出来た。

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茅葺の門が、とても風情がある。樹齢700年余のビャクシンは、堂々たる姿に古を感じる。

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高野山真言宗の「休場山 等覚寺」では、昇堂特別拝観をすることが出来る。間近に

ご本尊の不動明王(左足を踏み出す<波切不動>姿)を拝観し、本堂脇間におられる

出世子育地蔵尊も拝観することが出来、思わず娘・孫のつつがない日々を祈る。

等覚寺の山門も、風情ある茅葺の「薬医門」でした。境内には、新田義貞の鎌倉攻めで

亡くなった武士を供養する五輪塔や宝篋印塔・無縁塔が祀られていました。

山号 休場山の由来は、梶原景時がこの地を通った際、ここで休んだからと付いたと云う。

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深沢小学校の裏山のやぐらに、梶原景時親子の墓と云われる五輪塔が並んでいる。

梶原景時は、駿河で討たれているのでこちらは供養塔かと思われます。

こちらの地名(梶原)の由来に、「梶原一族の地」という説と梶の木がある里という説もある

* ガイドさんに、駿河の梶原景時親子終焉の地の写真を見せてもらう。景色の良い梶原

山の桜の木の下に碑があり、清水梶原会の皆様に大切にされていたのを見てほっとする Rscn6783 Dscn6762

祭神が「鎌倉権五郎影正の「御霊神社」は、梶原景時が建久元年に再建整備したと伝わる

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入口の「阿吽 狛犬」の表情が良いのでパチリ camera と2枚

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最後のお詣りは、日蓮宗 「笛田山 仏行寺」 源頼朝の死後 梶原源太景季は、父と共に

鎌倉を追われ駿河で討ち死にしましたが、その死を嘆き この地で自害した妻信夫の霊を

慰めるために村人が建てたと伝わる「仏行寺」。本堂裏の石段をふうふう言いながら

登ると、影季の片腕が埋められているという「源太塚」がある。

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つつじの季節は、本堂背後の斜面一面に色とりどりのツツジが咲くので有名です。

左が今の季節の写真。右は昨年のゴールデンウイークの写真です。

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御家人梶原一族のゆかりの地を歩いた半日です。 <ガイドさんの説明を参照する

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コメント

「須崎古戦場」 どこらへんなのかと地図検索
鎌倉攻めの戦いがこのあたりでも・・・
鎌倉歴史探訪の深さと広さにに改めて思い直しました。

あすかさん:

コメントありがとうございます。
鎌倉は武士社会でしたので、色々な「乱や騒動」も多く
戦いの場所が地層になりその上に今の鎌倉が
出来ているようなものなのですよね。

泣き塔の側を、工場用地にするため破壊した時
けが人が出てその場所を迂回したとの話も残っているようです。

梶原景時、判官びいきの日本人には悪役として登場しますが、歴史は勝ち残った勝者が創るもので本当に悪人だったのかは不明です。
でも源頼朝や足利尊氏などと同じく歴史上の人物としては人気の無い武将ですね。
静岡の梶原山、今では桜や夜景の名所となっているようです。

梶原一族、なんとなく聞いたことがあるような・・・
でも知識がないから思わず検索しちゃいました。
鎌倉は知識がなく歩いても楽しい場所ですが
歴史を知るとさらに楽しめますね。

コメントありがとうございます!

country waklrさん:

梶原景時は石橋山の戦いで平氏の武将でしたが、戦いに敗れていた
源頼朝を見逃したことが知られております。御大将が亡くなった後
有力御家人に追われ駿河で討たれたのですが、梶原山…本当に桜が綺麗なんですね。
ガイドさんに見せていただいた写真の風景がとても穏やかで美しかったです。

ジャランこさん:

そうですね。鎌倉は、ミニ知識があるとより楽しめるかも~!
私の場合は、少しマニアックすぎるかもしれませんが(笑)
検定に向けて、少しでも知識を詰め込まなければと思っているのですが、
覚えるそばから忘れてしまうパターンで困ります。(トホホ)shock

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