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2016年6月16日 (木)

駅ハイ真鶴の歴史ロマンを巡る旅”頼朝の軌跡”

6月12日(日)駅からハイキング「真鶴の歴史ロマンを巡る旅~源頼朝の軌跡”」に参加。

この日も暑い一日でしたので、熱中症対策を十分にしての参加です。

<コース>

真鶴観光協会ー荒井城址公園ー貴船神社ー鵐窟(しとどのいわや)ー背戸道ー謡坂

源頼朝船出の浜(岩海岸)ー龍門寺ー兒子神社(ちごじんじゃ)ー真鶴駅

P1160179

源義家に従い、後三年の合戦(1083年:奥羽地方の豪族清原氏の内紛に介入)に活躍

した荒井実継の居城と云われる『荒井城址公園』は、竹林に囲まれた閑静な公園内だが、

春には綺麗なしだれ桜を楽しみに訪れる人が多い。後(小田原)北条氏の時代には、

のろし台が置かれた場所でもある。私が立ち寄ったこの日は、誰もおらず少し怖くなり、

うっそうとした緑の公園を慌てて出て先へ足を進める。

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車道の脇を上り下りし、車に注意し歩くこと約2キロ、更に細い路地を下り『貴船神社』へ。

889年創建と云われる貴船神社は、大国主命らが祀られています。毎年7月に行われる

祭礼は、勇壮華麗な船祭りとして有名。私も神奈川県ウオーキング協会の例会に参加

した時に、何度か勇壮な船祭りを見学したことがある。ここで水分補給と一休みをする。

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いつもはこの長い階段を上りお参りする貴船神社ですが、今回は他の入り口から境内に

入り階段を下りるコースになっていた。階段下の「頼朝の腰掛石」は、パンフレットによると

「石橋山の戦いに敗れ、敵より敗走する際に、頼朝一行が休息された岩石を、鵐窟付近

より移設されたと伝えられる。現在では石碑として垂直に置かれているが、昔は丁度腰を

降ろすのにほど良い高さで水平に安置されていたようです。

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兵を挙げたものの治承4年(1180年)石橋山の合戦に敗れた頼朝主従が、身を隠したと

云われる『鵐窟』は、真鶴漁協の道路を挟んだ向かいの崖下にある。窟屋に隠れようと

したとき、シトド(ほおじろ)が飛び出したため「鵐窟(しとどのいわや)」と呼ばれる。

隣には、源頼朝が安置したという観世音像を祀るお堂がある。(案内板を参照)

草に覆われた「鵐窟」ですが、前回来た時「安達盛長・岡崎義実・土肥実平などの旗が!)

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『背戸道』・・・民家と民家の間にある生活密着の路地で、急坂の細い道を上り下りする。

表通りとは別の裏道で細い路地や石段で繋がっている風情ある道です。

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石橋山の合戦に敗れた源頼朝が休息した坂。頼朝の再起を願い、家来の土肥実平が

うたい踊ったと云われる『謡坂(うたいざか)』。近くに別荘を構えた高井氏が碑を建立。

この坂より頼朝主従が、房州に船出したと云われる「岩海岸」を見おろすことが出来る。

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『源頼朝船出の浜(岩海岸)』・・・石橋山の戦いに敗れた源頼朝主従が8月28日、房州に

船出した浜と伝えられる「岩海岸」は、真鶴半島唯一の砂浜が広がる海岸です。

(「新編相模風土記稿」によると、ここから安房勝山海岸へと船出する。)

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細い路地を少し迷いながら延喜年中(901~922年)創建と云われる『兒子神社』へ。

天保・明治の火災に遭い、現在のお社は昭和8年7月改築移転されたもの。小高い丘の

上に鎮座する静かな佇まいの兒子神社でした。ここでも誰一人とも合わず、神社境内の

鬱蒼とした裏山を、急ぎ足で歩き、やっと真鶴町役場を見つけた時はホッとしました。

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私の好きな歴史を感じる歩きでしたが、ほとんど歩いている人がおらずとても心細かった

今回の真鶴駅からハイキング参加でした。唯一嬉しかったのは、お庭に咲いている

鮮やかなブーゲンビリアを見る事が出来た時。(花に見えるのが、葉が変化した苞です。)

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駅からハイキング」カテゴリの記事

コメント

梅雨の合間のウオーキング お疲れ様でした。
このウオーキングのコース、階段が多かったのでは?と思いましたが、脚は大丈夫でしたか?
私が想像する真鶴は「海沿い」なのですが、アップダウンの多い、歴史の痕跡のある道を歩いてみたくなりました。

この日のコース、勿論未知のところばかりですが、見て直ぐに目に付いたのが鵐窟。
鵐といえばホオジロやホオアカ等小鳥の古名です。
昨年・今年とサバンナシトドと呼ばれる珍鳥が当地にも飛来しました。
ブログを読んでいくと「やっぱり」と、納得です(笑)
寂しい所も有ったようですが、歴女の「セロリさん」の心を満たす頼朝の足跡を巡るコースだったようですね。

真鶴半島は突端の三ツ石ぐらいしか記憶があまりありませんでした。
しかしここにも頼朝の歴史があったのでしたね。
この真鶴から小舟で千葉県安房郡鋸南町(頼朝上陸地点へ行ったことがあります)へ逃れ、そこから鴨川の仁右衛門島まで逃れのちに房総で勢力を拡大し源氏再興を目指し再び平氏討伐にのりだしたのでしすね。話が繋がりました。(笑)

のりちゃん:

コメントありがとうございます!
上り下りと階段の多い歴史コースでした。
真鶴というと、岬の方へ行く海岸線が印象的だったのですが、
今回は坂の途中から海を眺めるところは多かったですが、
海岸沿いを歩くことは少なかったです。

迷路のような生活道路の細い路地を歩きました。
期間が4月―6月と長く梅雨の時期このコースを歩く人が少なく
ちょっと心細かった駅ハイ参加でした。
足の方は約8キロのコースでしたので、大丈夫でしたよ。

country walkerさん:

真鶴といえば、海岸沿い磯や岩伝いに歩くコースなどには参加したことが
ありましたが、今回のように中の道を歩くのは初めてでした。

鵐(ほおじろの古名)だと、前に聞いた事がありました。
草深い場所に窟があり古を偲ぶにはピッタリ!(笑)
我が家からは、東京より近い真鶴なので参加するのをのんびりしていたら
歩くのが、今の時期になってしまいまいした。

湯河原にも、同じような伝説の場所があります。(梶原景時が登場する)

あすかさん:

私も、頼朝上陸の地へ行ったことがあります。
このようにウオーキングしていて、頼朝の軌跡の話が繋がると
歴女の端くれとしては、嬉しくなりますね。
ただ反省として、期間がいっぱいあるのでもっと歩きに適した時期
4・5月に歩いたほうが良かったコースです。(反省)

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